眠る母

「眠る母」パステルB2(1989年)

尊敬してやまないアメリカの画家アンドリュー・ワイエス氏(1917~2009)は、「平凡なものに信頼をおき、それを愛したら、その平凡なものが普遍性をもってくる。」という言葉を残している。そして、「しかし、それをみつけることは容易なことではない。」とも・・・。
人物画を志す多くの者たちが、グラビアモデルのような美女のヌードや、彫刻のように鍛え上げた色黒マッチョな男のヌードを好んで描きたがる。どこかで買った安っぽい美術解剖学の教科書を振り回し、筋肉と骨についての講釈をたれながら。それはあたかも、観光名所でガイドブックを片手に、名所の歴史について講釈をたれながら、絵ハガキのような風景を好んで描くことと等しく、描き手の想像力の欠如を露見させる光景だと言わざるを得ない。換言すれば、無能な描き手ほど対象に非凡さを求め、平凡なものの中に宿る普遍性を見出すことができないのだ。ワイエスの言葉にはそんな辛辣な示唆が含まれていると僕は思う。
1989年のある日、食事の後片付けを終えてテレビを見ていた母がソファにもたれかかってうたた寝をしていた。僕は買ったばかりのキャンソン紙とパステルを用意し、母がうたた寝していた数時間の間に頭部を描き、翌日背景部分を加えて本作を完成させた。
絵画の好きな人なら見てすぐにわかると思うが、この絵の中には、黄金比や二分の一といった、安定感を生む幾何学的比率による構成が用いられている。また頭部の上に大きく空間をとり、垂直線を多用することで頭部に視線の重みが落ちるような工夫がされているが、これは、当時、敬愛していたエドガー・ドガ(仏1834~1917)が使う構成上の手法を真似たものである。描きたい対象にフォーカスを絞り、それ以外のものを簡略化する手法も後期印象派の画家たちが得意としていたそれから学んだものだ。
本作は、二十歳の自分が描いた、当時47歳の母である。
時の流れは残酷で、とうとう僕はこの絵に描かれた母の年齢をひとつだけ追い越してしまった。本作を見る時、この絵を描いた時のことが昨日のことのように網膜の裏に蘇る。寛容で優しく温かい心の母。僕の絵にむかう生き方を支え続けてくれている母。深くて大きな愛情を注いでくれる無上の存在と知りながら、時に愛情を受け止められず反発し、乱暴な言葉を投げつけ、与えてくれるものをはねつけた酷い自分。家族とのちょうどよい距離をとることが下手な自分。家庭をもたず、いつも独りを選び、独身でいる自分。描くことでしか生きている気がしない空虚な自分…。思い返せば僕は母に心配や苦労ばかりかけている。
28年の時が流れ、いろんなことがあったし、いろんなことが変化した。しかし本当の意味で僕は、あの頃の自分から何かひとつでも変わったのだろうか。・・・何も変わらない。変わったのは物事の表層に過ぎない。未熟でちっぽけで臆病な、馬鹿でうざくて情けない、変わ“れ”ない醜い自分!
しかし、そこにもう一つ加えて良いなら母親への感謝と、決して言い表すことができないこの思いは変わらない。生まれてからのこれまでと、これから先ずっと。
おこがましくも、これが僕の、平凡なものに向ける信頼と愛のかたちです。

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