幾何学への考察

「気配」鉛筆デッサン(2017年1月)

西洋美術史における幾何学は、ルネッサンス期のイタリアにおい て既に完成していたとする見方がある。フィボナッチ数列や黄金比に代表される数の法則は、建築や絵画における幾何学的構成に応用され、イエス・キリストの宗教世界を堅牢に表現する手法を生み出した。しかし中世から近代への転機となった市民革命以降、芸術はゆるやかに(しかも加速度的に)宗教世界から離脱していき、かつて厳格な普遍性をもっていたかのように見えた幾何学は、時代とともに芸術家の感性に基づく自由で多様な構成手段へと変容を遂げた。しかし時代がどのように変わろうとも、西洋文化の底流には、通奏低音のように「神(絶対的存在)―人間」に類似した直線的で二元論的な精神構造があるように思う。
僕が高校生だったころ、抽象表現主義の画家バーネット・ニューマン(1905~1970)のカラーフィールドペインティングの一連の作品を見て、垂直線の構造にみなぎる超越的な力と崇高さに驚嘆したことを思い出す。ものすごい作品だと思った一方で、なぜか拒否反応があったのは、東洋人である僕の精神的な体質によるものかもしれない。ゴシック建築からニューマンの絵画にいたるまで垂直線のもつ構造には、特権的な「力」があり、それはしばし人を威圧してきた。
現在、僕は築35年の木造住宅に住んでいる。前の持ち主が設備工だったことからこの家屋にはコンクリート敷きの作業場があり、格安の物件だったため2004年に購入したのだ。しかし間取りは最悪で「どうしたらこのセンスで設計できるのか?」と設計者の顔が見たくなる。そんないまいましい空間が、本作品に描かれている。垂直に伸びた柱のシャドウが特権的で威圧的な力となって生活空間を分断し、時々僕を憂鬱な気分にする。「いっそこの柱、ぶった切ってやろうか。」と何度思ったことかわからない。
2016年、11月。フローリングにモップがけをした時のこと。些細なことだが胸のすくような出来事が起こった。垂直線が君臨する縦の王国に、モップの柄の影が斜めの直線を生み出し、反乱を起したのだ。「これだ!」と思って描き出し3ヶ月かけて完成させた。仕事から帰ってからの制作となり、眠くなるので食事を控え、暖房を入れず、防寒着を着て描いた。室内なのに吐く息が白く、時々カイロを必要とする愚の骨頂のような日々が続いた。この絵の中に姿見があり、僕自身が描かれていることがわかるだろうか。あえて影のようにひっそりと描き、本作を「気配」と名づけた。縦の幾何学的構造に軋轢をうける自己へのアイロニーを込めて。

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