ラン・ナー・チャー

「自画像」鉛筆デッサン(制作年不明1988年頃?)

この自画像は、おそらく芸大受験時代のものと記憶しているが、定かでない。18~19歳前後の自画像であることは確かだ。受験時代の自分はかなり屈折しており、辛辣な批判を矢のように向けてくる予備校の講師たちを憎んでおり、背中にドロドロした怨念の渦を背負って、いささか精神を病みかけていた。いま思えばそんな追い込まれた精神状態に陥ってしまったのは他ならず自分に原因があったのだが。
当時の少年サンデーの中に「拳児(1988~1992)」というカンフーの漫画が連載されており、僕はその漫画を夢中で読んだことを思い出す。主人公の剛拳児が、祖父侠太郎から八極拳を学び、様々な困難と闘いながら中国へわたり強くなっていくストーリーであるが、この漫画「拳児」は、よくありがちな他のカンフーものと違い、カンフーの基礎理論や実践性、修練の様子が丁寧かつ詳細にわたって盛り込まれ、「何かこれはデッサンと共通するものがあるのでは!」と思い、熟読していた。僕はここに活路を見出してデッサンを上達させ、憎き講師陣を見返してやりたかったのだ。
この漫画の中に、八極拳の伝説の武術家・神槍 李書文という、超絶ストイックでシビレる男が登場する。李書文は初めから無敵の格闘センスを備えていたわけでなく、どちらかというと真面目で無器用な男として登場する。しかし当時流行の中国拳法を「まるで京劇の舞いでも見ているようだ」と違和感を覚え、道場からきびすを返し、自宅で独り修行を始める。彼が始めたのは、基本動作「ラン(欄)・ナー(拿)・チャー(扎)」のただ一つだけ。彼は、基本動作ひとつが針の隙も与えない程完璧であれば、他の技は一切必要ないと考えたのだ。道場に来なくなった李を心配し、友人が見舞いに行くと、痩せこけて精悍な顔をした李が倒れていた。李は、わずかな水と食料だけで、ほとんど眠らず、とり憑かれたように修行していたのだ。床を見るとかなり分厚い石畳が、基本動作の「震脚」によって粉々に割れており、修練のすさまじさに友人は戦慄を覚える…というような話である。この話の続きはもう想像つくと思うが、この漫画は名作中の名作と思うので、ぜひ読んでいただきたい。
「拳児」に出てくる李書文のこのくだりにすっかりヤラれてしまった僕は、夏でも冬でも朝でも夜でも頭部のみの自画像を何十枚も描き、神槍 李書文の「ラン・ナー・チャー」を思いながら、基本的な面取りによる立体表現を繰り返し行った。このころは描くことで精一杯で紙のことまで考えられず、ナイフのように尖った鉛筆で画用紙をえぐってしまい、ボロボロになるまで描いていた。しかしこのデッサンの場合、それが偶然にも頭部の手前にある空気の厚みを表現しているように見えて、下手糞なデッサンだと思いつつも結構気に入っている。
48歳を迎えた僕は今、この時とは全くちがう現在の感性で主題を見つけ何枚か自画像を描けないかと思っている。ただ一つ、この時の自分と同じ体重になって描きたいというこだわりがあるため、5月からダイエットを開始している。週2~3回以上の割合でプールで泳ぎ、夜はなるべく粗食にし、すでに9kg体重を落とすことに成功した。あと5~8kg落として目標達成したと思ったら制作を開始しようと思う。

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