煙突が好きだ!

Studio Bosqueを編集する過程で、僕は過去の自分の作品と再会し、記憶の古い階層から様々な感情を呼び覚ますこととなった。それらはすべてが懐古的に浸れるものばかりとは言えず、どちらかといえば、苦しみや痛みを伴うものが多かった気がする。特に予備校時代のデッサンや油彩画を見ていると、力まかせなタッチやストロークの中から「焦り」「不安」「葛藤」「迷い」といったネガティブな感情がよみがえり、正直なところ泣けてくる。これを「若さゆえ」と言ってしまえば聞こえはよいが、当時の自分の精神的な営為は、ことごとく空回りしており、制作面では深刻な泥沼状態に陥っていたように思う。その時期、集中的に何百枚と描いたが、サイトに掲載できるような作品は非常に少なく、編集では、ほとんど全てに近い作品をボツにしなければならなかった。それでも掲載した作品を見て、きっと心ない人たちは、批判したくてうずうずしておられることだろう。しかし、どうかご容赦を…。実際、これまで僕は、優等生ではなかったし、これから先も決して自分を達者な描き手だと思うことはないだろう。僕はただ、自分の歩みを記録しておきたいだけなのだ。

予備校時代は、とかく殺伐とした日々が続き、苦しい思い出以外なにもないが、奇跡的にも芸大に合格してみると、世界は一変した。自由で開放的な空気の中で何を描いても叱られないし、教授はたまにしかアトリエを訪れず、何を見せても「いいね!」と言って褒めてくれる。これがキャンパスライフなのか、と、しばらくは楽しく思えたが、その楽しさもそう長くは続かなかった。むしろ「自分がこの芸大で学ぶべきことはなんだろう?」という漠然とした不安が湧きおこってきたことを覚えている。今思えばこれほど贅沢な悩みはないと思うが、真摯に創造的世界を生きる人であれば、この類の苦悩がどんなものなのか、ご理解いただけることだろう。

僕は、毎日欠かさず学内の図書館で数時間を過ごし、美術に関わる書籍や画集を読みふけった。するとそれまで予備校で妄信的に学んできた美術の「基礎」とされるものと、現代社会に展開している多様な美術の現状との間に気が遠くなるほどのギャップがあることに気づいたのである。否、それは、それまで気づかなかったというよりは、すでに感覚的に気づいていながら、あえて直視せずにいた問題が切実に自覚されたというべきかもしれない。しかし、残念なことに、当時の自分の周辺に、そのギャップを埋めるもの―(芸術作品への系統的な理解や感性を養う鑑賞教育、歴史的・社会的背景との関連付け、他分野・他領域との有機的な結びつきなど)―について教えてくれるものはなく、結局、美術書に書かれた断片的な内容から自分なりに理解を深めていくより他はなかった。

しかし、折しもこの頃、ドイツに留学していた奈良美智氏が何度も帰国して、僕たち元教え子の下宿に訪れ、酒を飲み交わしながらドイツでのいろんな話をしてくれた。今や「世界の奈良美智」となってしまったお方だが、当時、奈良さんは、デュッセルドルフのクンストアカデミーに入学、グラフィック科に在籍し、A・R・ペンク(1939~2017)に師事していた。そうしたドイツの先進的な美術教育に関する話の中で、特に「ドローイング」に関する考え方が、それまでの自分のデッサンを基礎とした創作のプロセスとは全く異なっていたことに衝撃を覚えた。

一般的に、「ドローイング(drawing)」とは、「線を引く」という意義から生まれた英語で、「デッサン」と同義である。だから、僕の開設したStudio Bosqueに「デッサン」と「ドローイング」が分けてカテゴライズされていることに疑問を感じる方も多いだろう。(さらにいえば、「スケッチ」だの「ドローイング」だのと分けずとも全て「平面作品」で良いのでは、ということになるはずだ)なぜ、このような分け方にこだわったかというと、そこに自分流に解釈してきた経緯があるのだ。

話を戻すが、奈良さんは、いつでもどこでもドローイングしていた。領収書やノートの端切れ、どこかで拾った紙など、それこそ思いつくままに何にでも暇さえあれば描いていた。その取り組み方は、デッサンのように対象を描写して描くというよりは、その時々に思いついた絵や言葉が、その時手元にあった紙に書き綴られていく落書きやメモに近いものだった。奈良さんのドローイングは、その時選んだ紙の裏地がかすかに透けて見えていたり、印刷された文字が絵の中に残っていたりするのだが、紙片の風合いが絵と絶妙にマッチしており、描く内容も、まさに自由自在であった。ドローイングは作品としての完成度はないが、日常生活から垣根なく制作に移行し「数」を生み出す中で、「質」を洗い出すことができる。一つの主題から次の主題へとスピディーに展開できるため、作家の思考体系や制作姿勢を反映させながら、自由な発想を練磨することができるのだ。実際、奈良さんも膨大な量のドローイングを積み重ねることによってタブロー作品の着想を得たり、創作上の潜在力を得たりしていた。

今やよく耳にするようになった「100枚ドローイング(スケッチ)」は、まさにこのプロセスを示すものであるが、この言葉を自分史上はじめて耳にしたのは、デザイン業界の発想手法だったと記憶している。商品開発など、何か一つの主題にそったアイディアを出すとき、頭に浮かぶ限りのアイディアを次々に描き留めていき、ついにはアイディアが浮かばなくなっても手を止めないでしぶとく描き続ける。すると偶然の手の動きから描いたフォルムや発想の転換、表現手法の展開などがおこり、作家の潜在的な源泉に迫り、思いもよらないオリジナルな発想を引き出すことができるのだ。

ドローイングという画期的な手法を学んだ僕は、現在にいたるまで、制作の様々な場面にそれを取り入れてきたわけだが、本作を描いたのは、(かなり曖昧だが)芸大2~3年生のころではないかと思う。

当時、家賃1万7千円の下宿長屋を借り、一人暮らしを始めた僕は、生活のために様々なアルバイトを開始した。手っ取り早く高収入という理由で選んだ3K(きつい・きたない・きけん)のアルバイトも、やってみると、どの仕事も楽しくて仕方がなかった。看板屋、造園屋、土木関係、清掃業、警備員、人材派遣…。いくつかのバイトをかけもちしていたので生活もかなり楽になったし、そこで初めて出会う人、初めて見る風景が僕を魅了してやまなかった。

特に楽しかったのは、工場ラインの高圧洗浄クリーナーの仕事だった。休日のトヨタ自動車や新日鉄の工場のしんと静まり返ったラインに入ることを許可される上に、高圧洗浄車のホースを連結させ、塗装ラインの狭い所潜ってジェット噴水で塗料のカスをそぎ落す作業は、痛快の極みであった。車のボディーをそのまま取り込んで塗装する大型の塗装ラインの中に入った時は、まるで金属製のクジラの胃袋に飲み込まれたようであり、その非日常的な感覚が、そのまま僕の作品に吸収され、ドローイングの中に生き生きと出現したのである。ひと気のない工場の中には、僕の感性を刺激してやまない宝石のような風景で溢れていた。

錆びた鉄、グリスや塗料の化学的な臭い、無造作に塗り直された壁のペンキ、読んでもさっぱりわからない意味不明な記号、見たこともない道具、スレートの屋根、ダクトの中の油まみれの扇風機…。

…そして、煙突! 煙突!  そこにも煙突!   僕は、本当に煙突が大好きだ!

これまでの自分のドローイングを振り返ると、過去から現在にいたるまで、繰り返し出現する、主題やモチーフがあることに気づく。煙突、工場、船、風車、蝸牛、労働者、靴、少女、魚、シマウマ、ワニ、鹿、蚊…

このように象徴的に出現するモチーフのことを心理学の用語に何かあったと思うが、忘れてしまった。

心理学的見地からすれば、煙突というモチーフは、そのファリックな形状から、潜在的な男性原理や性的衝動の発露であるという見方もできるだろうが、そういう話は、無粋に感じられるので、ここではやめておこう。

本作は、コラージュの手法をとって描いているので、一見、キュビズムの作風に似ていると思う人もいると思われるが、コラージュ手法の扱い方としては、キュビズムよりも、クルト・シュヴィッタース(1887~1948)のコラージュに見られる錬金術的手法に強く影響を受けたものである。ドローイングを始めたころ、シュールレアリスムの「オートマチズム」の考え方を導入していた経緯もあり、シュヴィッタースのコラージュ素材へのフェティッシュな感覚と、僕自身の工場や煙突へのフェティッシュな感覚とが密接に影響し合って生まれた作品だと思われる。

 

 

 

 

 

 

 

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