「 お久しぶりです! factory man! 」

 

2017 factory man

最近、僕は、ごく内々で「アトリエ7.q(ななてんきゅう)」という会を立ち上げ、3~4か月かけての長時間設定で趣味的な人物画制作を行っているのだが、その会場予約に行った時のことである。会場である長久手市の文化の家では、ちょうどアートフェスティバルが行われていた。美術室の予約を終えてアートフェスティバルの鑑賞を楽しんでいると、展示室の前の受付に、美味しそうなおにぎりが置いてあったので、(お腹が減っていたわけではないが)しげしげとそれを眺めていたら、後ろから「あ!お久しぶりです!」と僕より少し若いくらいの同世代のかわいい感じの女性が立っていた。誰だろう?でも絶対どこかで見た顔だと思って作家の名前を見たら、芸大時代の友人だった。「あれからどうしてた?」「あいつどうしてる?」という昔懐かしい話がはずみ、20年以上会ってない間に彼女はアメリカに渡り、立派なアニメーション作家になっていたのだった。

アートの世界から遠ざかり、長いこと制作を怠けていた僕は、いささかバツが悪く、ちょっと恥ずかしかったが、それでも「今は特別支援学校で働いてるよ」と答えた。

彼女が描くアニメーションはどれも本当に面白く、作品の背景に出てくる街なみや工場の感じに大いに魅了されるとともに、何かちょっと悔しいような、先にやられちゃった感が・・・。いわゆる3Dアニメなのだが、背景に描かれいる工場や街の感じが、得も言われぬセンスで何か僕の感性をくすぐってやまない感じがした。

そこで、家に帰った僕は、さっそく「あんな感じの作品を描いてみよう!」と、あえて芸大時代を思い出し、昔懐かしいやり方で制作を開始した。

まずは、ボール紙を描きたい大きさに四角く2枚切り、格子状に組んだ段ボールの骨組みに厚紙を裏表にサンドイッチ状に接着してパネルを作り、次に段ボールから薄く剥ぎ取った紙辺をパネルの表面に木工用ボンドで貼り合わせていく。(表面に使う段ボールは、バナナなどを輸送した外国製の段ボール箱がのぞましい。というのは外国製の段ボールは紙が肉厚で繊維が強く残っているので剥いだ時にフェルトのような質感になるからだ。)そして、そこに段ボールの表面のロゴマークや文字、新聞の文字など気になる紙片をちりばめていき、最後にジェッソとモデリングペーストで表面を粗く塗ると、創作意欲を引き出してやまない、絶妙にいい感じのキャンバスが出来上がるのだ。この手法は、誰かから教わったものではなく僕のオリジナルな発想によるもので、芸大時代、お金がなくてキャンバスを買うことが困難だった時代に、身の周りにある様々なものを代用して支持体を作ったことに端を発する。少し話が脱線してしまうが、この手法を生み出すきっかけとして、当時の下宿のすぐ前がお米屋さんだったので、麻布やハトロン紙の米袋がいつでも安く入手できたことがある。ジェッソは本当に便利な素材で、多少クセの強い素材でも、ジェッソを塗った時点で、何かもうそこにキャンバスができた気がするから不思議だ。これはお金がなかったからこそ生み出し得たアイディアで、本当に「必要は創造の源」なのだと思う。

話を戻そう。粗く塗ったジェッソのパネルの表面には、質感のある白さや複雑な凸凹によるマチエールと、ジェッソの下層から透けて見える魅惑的な文字などがあり、そこに何かわずかに加えれば、すぐに絵が描けるような気になる。でも、焦ってはいけない。可能なかぎり、これを描こうという明確なイメージを持たないところから始めた方が、むしろ自由で独創性に富んだ楽しい作品作りができるのだ。

そして、筆の仕事に入る前に、もう少し回りくどく、なにか画面上に適当な線を置いてみたり、おつゆで汚して見たり、なんというか、「キャンバスとイチャイチャする時間」が必要なのである。美味しい描きこみの仕事を始める前に、じらしてじらして、必要な線を残して要らない線をジェッソで消したり、足りない線を加えたり、そんな風にしていくと、でたらめに描いていたはずの図像が、何かの部分に見えてくる。はじめぼんやりしているイメージは、絵と楽しくイチャついているうちに、だんだんはっきりしたものになっていく。それは具象的な図像である場合もあれば、抽象的なフォルムのまま作品の中で結実する時もある。この描き方は、「描く」というよりは、自然に描かれるのを「待つ」といった方がしっくりくるかもしれない。

モダンアート以降の自由な絵画表現の好きな人ならば、ここまでのくだりを読んですぐに、本文が、前回のブログの後半部分で記載した「クルト・シュビッターズ(1887~1948」」や「オートマティズム(自動記述)」の続きであることに気づくだろう。

アンドレ・ブルトン(1896~1966)によるシュルレアリスム運動で提唱された、オートマティズム(自動記述)は、自由で速記的な手の運動がもたらした描線の集積の中に無意識による潜在的なイメージを次々に連想し、画面に定着させていく手法である。この手法は、心理学検査の一つである、ロールシャッハ・テスト(インクのしみから連想したものを回答していくテスト)のように画面上におきる偶然性とその見立てによって、自分でも予想のつかないような面白い絵を描くことができる。しかしこの手法は、実はレオナルド・ダ・ヴィンチも壁のしみを見て連想したところから戦争画を描いていたりするので、シュルレアリスム運動の中で提唱される以前から普通に行われていたものであると言えるかもしれない。

本作を描くうち、僕は性懲りもなく、またしても煙突を描いてしまった。好きな線を残し嫌いな線を消していくうち、胴体に工場がくっついた労働者の姿が出現した。

「お久しぶりです!factory man!」

昔、下宿長屋を借りて独り暮らしを始めたころ、お米屋さんでもらった麻布の米袋を張ったキャンバスに、段ボールやコーヒーフィルターを使って生み出したfactory man(工場男)。

芸大時代の友人と懐かしい再会によって、僕の深層心理の奥から、factory manが登場したのである。恥ずかしいのか、顔が煙で隠れてしまっているが(笑)

※下図は、1991年に制作したfactory manである。

1991  factory man

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