郷愁

僕に骨董収集の趣味はないが、2016年にちょっと知り合った人と骨董屋を巡る機会があった。岐阜県多治見市は、美濃焼きをはじめ、陶器で有名な街であり、駅周辺から少し市街地に入ると陶器の店や工房がいたるところに点在している。昔は職人の街として、さびれた空気を醸してした街だが、近ごろでは逆に、そういう職人の街ならではの付加価値をアピールし、集客効果を期待して計画的な街づくりが進んでいる。そうした人の流れにのって、くすんだ色合いの職人の街に、ちょっと洒落た若者向けの骨董屋やギャラリーが現れ、彩りが添えられていく。まるで街が息を吹き返していくようだ。

最近、過疎地の古民家などをアートのための代替空間(オルタナティブ・スペース)として開放し、アートイベントを開催する光景が様々な場所で見られるが、それによって地域が再生していくケースも少なくない。アートは、人間の抑圧された心を解放するだけでなく、人を呼び寄せ、交流を生み出し、その場所に根付く文化に生命力を与える力があると僕は思う。(もっとも、いかにも「町おこし」の匂いがするアートイベントほど、辟易させられるものはないのだが。アートは目的的営為に対して反逆的であってこそ力を発揮するものだと思う。)

そのとき知り合った人の話によれば、骨董品を扱う店舗にも、格付けがあるそうだ。最も上は鑑定書がついてくるような価値の高い骨董を扱う店であるそうだが、一方、最も下はと言えば、通称「拾い」という格付けの骨董屋で、その名の通りごみの中から拾い集めたガラクタを売る店だそうだ。何軒か骨董屋をはしごしたのだが、興味深いことに格付けの高い骨董屋は、敷居が高いためか人の流れがなく、薄暗い店舗にならぶ黒々とした歴史上の重鎮である骨董品は、時間の流れをも止めてしまったかのようだった。一方、「拾い」と呼ばれる骨董屋の店内は大きな窓から差し込む自然光で明るく保たれており、白いペンキで粗塗りされたお洒落な空間の中で観葉植物やジャズのBGMなんかと一緒に仲良くならび、たくさんの若者を呼び寄せていた。

「この違いはどこからくるのだろう?」

と素朴な疑問が湧きおこってくる。店構えやコストパフォーマンスなど、いろいろ要因はあるだろう。しかしその時、僕が感じたことは、ガラクタにはガラクタにしかない良さがあるということだ。ガラクタだからこそ、鑑定書のような特権的で一義的な価値によって束縛することなく、手に取った者の自由な感性で価値や美しさを見つけることができる。

僕は、そんなガラクタを扱う骨董業界の落ちこぼれの店に、すっかり魅了されてしまったのだが、店内をぐるりと周る中で強烈に惹きつけられたのが、この絵の中に描かれている「靴」であった。自分の足のサイズと比べると一回り小さく24~25cmの革靴で、軍用の革靴にも見える。靴底のゴムには錆びた鉄製のスパイクが打ち込まれているが、靴底全体が摩耗し所々亀裂が入っている部分がある。革の表面の劣化も酷く、もはやスウェードのようになってしまっている。手に取るとその劣化の具合や質感から、僕の内側で激しいメランコリーの感情が湧きおこっていることに衝撃を受けた。

「この靴、いくらですか?」

値札がなかったので聞いてみると、顔のいたるところにピアスを入れたやる気のないパンク娘の店員が、スマホで店長にキレ気味に電話した後、だらだらと「2000え~ん…」と答えたので、即買いしてしまった。店員のやる気のなさといい、あの店は実に好感のもてる店だった。

お気に入りの靴を手に入れた僕は、アトリエに持ち帰り、手に取ってじっくり観察しながら、自分の中に沸き起こった激しいメランコリーについて考えていた。それは根拠など何もない勝手な空想の産物である。

 

「この靴は、きっと軍用の靴なのだろう。錆びだらけの船に乗ってたどり着いた海の向こうのジャングルの湿地帯で、腐敗した銃創と感染症に苦しみながら、故郷を偲び、優しい人たちのもとに帰りつくことができなかった兵士のものだったにちがいない。」

 

僕は、アトリエの片隅に、この靴と家にあった布製の鞄と流木などを組み合わせ、鉛筆でデッサンすることにした。こだわったのは、この作品の主題であるメランコリーを、光と影の演出で表現することである。そこで屋外作業用に使っていた投光器の強い光を、間接的に低い位置から靴に向けて、斜めに照射することで、鋭い影が床に這うようにした。白熱灯による投光器は、LEDライトとちがって均質でないまばらな光をあちこちにふりまき、ざらついた質感を浮かび上がらせる。物体の外形に沿って濃い影を生み出したかと思えば、画面全体の中では緩やかに繊細に光から陰へと移り変わる。光と影の複雑で多層な重なりがモチーフのもつ謎めいた部分を強めていると感じた。そして、こうした光と影の微妙な表情の中に、僕の感じたメランコリーを描き出そうとしたのである。

また、描きすすめていくうちに、画面上に何か黒々としたものが欲しくなったので、望遠鏡を描き加えることにした。この望遠鏡は、風景を描くとき、フィールドワークに使うものだ。靴の進行方向の前方に黒い望遠鏡を置くことで、死や不安、望郷の念をといった感情を象徴的に表現したいと思ったのだ。

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