あの部屋にいつも一人

たばこを吸いながら あの部屋にいつも一人

ぼくと同じなんだ 職員室がきらいなのさ

ぼくの好きな先生

ぼくの好きなおじさん

(RCサクセション「ぼくの好きな先生」より 作詞:忌野清志郎)

 

今もってなお、僕を魅了してやまないRCサクセションの名曲中の名曲である。拍子抜けするくらいシンプルな曲なのに、いつ聴いても新しい。芸大にいた頃、アトリエでこの曲を繰り返し聴きながら、無骨でヘビースモーカーな美術の先生と劣等生の清志郎との淡々とした中にも血の通った交流を思い浮かべ、温かい気持ちになったものだ。芸大にいた頃は、将来、就職などする気はさらさらなかったけれど、実社会に出てみるとわずかばかりの生活費を稼ぐにも困窮し、孤独であることに耐えがたく、流れ流れてご縁があって、今こうして特別支援学校で美術の教師をしている。僕は、アーチストとしての生き方から脱落し、教師の世界に漂着したわけだ。

もしここに、大真面目に将来アーチストになりたい高校生がいるとしたら、僕はこっそり教えてあげたい。

「いいか、デッサン真面目にやるのもいいけど、ほどほどにしとけ。そんなことより、自分を魅了する何かを見つけに外へ出て、いい空気吸ってこい!」と。

今思うと、アーチストとして生き抜くのに欠かせない資質とは、デッサン力でも芸術論でも信念でもなかった気がする。劣等生の清志郎のように社会に馴染めなくても、オリジナルな「自分軸」で生き抜く力こそアーチストの資質と言えるのではないだろうか。技術的なものは、本当にそれが必要なものならば、後でいくらでも身につけることができるだろう。

今、学校は全国的に敷地内禁煙になってしまっているので、清志郎が「あの部屋」と呼ぶ美術準備室にたばこを持ち込んで一服していたら大問題になってしまうが、しかし昭和から平成初期にかけては、まだそんな時代があった。実際、僕が高校生だったころの美術の先生たちは、みな例外なくコーヒードリッパーを準備室に持ち込み、授業の合間にキャンバスに手を加えながら、一服していた。そんな光景を横目で見ながら、「ああ、なんて居心地よさそうな場所なのだ。」と羨望の眼差しで見ていたものだ。

しかし、僕の勤務する特別支援学校では、ちょっとそんなわけにはいかない。そもそも、美術準備室などというものがないし、学校によっては美術室すらない(生徒数が増え、学級教室として使うことを余儀なくされる)ところもある。

それでも僕の務める学校に美術室がある限り、そこはもう僕にとっては楽園なのだ。

休憩時間や授業の合間の寸暇をぬって、キャンバスやパネルを張れる、下地を塗れる、ドローイングできる、段ボールを貼り合わせて立体物を作る、ROJUEで描いた裸婦デッサンの反省文をノートに書き綴る、鉛筆のストロークの練習ができる、画集を鑑賞できるなどなど…。さらに配属された学級へいけば、ホワイトボードに5色のマーカーで毎日欠かさずリアルな給食の絵を描くことが日課になっているし、誕生日には似顔絵を描いてと頼まれるので、好きなだけデッサンにのめりこんでも怒られない…どころか感謝してもらえる。「ちょっとこの子見ててね」と言われて付き添い介助してる隙にポケットからスケッチブックを出して眠ってる子どもの横顔を描くなんてことも!

いつの間にやら、僕の美術室は、子どもの美術作品と自分のアートワークが同居する得も言われぬ世界となった。

 

本作は、以前ブログで紹介した「周梨槃特」のシリーズ作品である。美術室のホワイトボードに何気なく描き留めておいた線画から着想がどんどん広がって作ったものだ。

今回は、頭部の煙突を二本に増やし、ジェッソを塗布した上からやすりをかけ、かすれた調子を生み出してみた。

その頃、よく会議で二つの考え方が対立することが多い気がしたので、物事を相互に見渡す広い視野がほしいと思ってあり得ない位置に眼窩をくり抜き、金色のレンズを組み込んでみた。

 

この作品を、美術室でせっせとこしらえていると、「それは何ですか??」と聞いてくる職員がいたので、

「これは、掃除の修行をするお坊さんで、頭に煙突があって煙を出してます。」と説明したら、

「森先生、疲れてますね…、大丈夫ですか?ちょっと休んだ方が良いのでは…?」と温かい言葉をかけてくれた。(笑)

またある時、若くてきれいな女性職員が、この作品を一目見て、「これ、すごくかわいいですね!」とほめてくれたこともあった。

 

こんな楽しい創作が、自然にできてしまう職業を選んだことは、とても幸福であると感謝しなければならない。

 

 

 

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