下手の横好き

「下手の横好き」という言葉がある。辞書を引くと、「下手なくせに、その物事が好きで熱心であること。」とある。・・・ぐっとくる言葉じゃねえか!これってまさに僕のことだ。僕は下手の横好きの王道を歩む漢なのだから。(笑)

もう当分クロッキーは描くまいと思ってやめていたけれど、最近、性懲りもなくまた描きに行ってしまった。クロッキーは、楽しすぎて病みつきになる。中毒性がヤバイのだ。

デッサンを学び始めた16歳のころ。高校生だった僕は、はじめてクロッキーというものをやってみて、たちまち虜になってしまった。熱病に取りつかれたようにクロッキーのことで頭がいっぱいになり、明けても暮れてもクロッキーを描きたくなる。でも、残念なことにクロッキー会は時々しかやってくれない。そこで、僕はどうしたかというと、当時、千種区にあった「松岡玲子バレエ教室」に電話し、電話に出てくれた先生に思いのたけを語って懇願し許可を得ると、仲間を引き連れ、公然とクロッキーに通ったのだ。今思えば、バレエ教室の先生は、相当、懐の広い人だった。なにしろ芸大を目指す僕たちは皆、例外なく小汚いなりをしており、バレエスタジオに来るだけでも鬱陶しかったと思うのに、そこへきてさらにスタジオの片隅にペタンと座ってギラギラした眼で描いていたのだから。僕たちは皆、うつくしい踊り子たちのエチュードを、ドガのように流麗に描きたくて…もちろん描けるはずないけれど(笑)…それはもう熱心に何枚も何枚も描いたのだ。

バレエ教室は週に2~3回は通えたけれど、それでも満足できず、次に僕は地下鉄のホームで待っている人、電車の中で本を読む人、公園のベンチで酒を飲んで寝ているホームレスなど片っ端から描き、はたまたそれでも飽き足らず、犬、猫、ハト、ニワトリなど、とりあえず手近なところで生きててくれたら対象は人間でなくてもいい気がして、無差別にガシガシ描きまくった。そんな風だから、親からもらった小遣いはたちまちクロッキーブックとコンテ代で消えていく。しまいには広告の裏の白いところなども使って描いていた気がする。

Studio Bosqueの「クロッキー」のカテゴリーを見てくれた方から「すごくたくさん描いたんですね。」と言っていただくことがある。・・・はい。そりゃあ、もう。アップしたのはほんの一部で、その何十倍かは描いたでしょう・・・

(ということは、もうお解かりと思うが)僕の家には、アップした作品の何十倍かの、クズみたいにグダグダなクロッキーが埋蔵されているということだ。(T_T)・・・クロッキーは経済および生活空間を圧迫する。だから、ヤバイのだ。一度クロッキーに手を染めてしまった者は、クロッキーとどう付き合っていくかを、ちゃんと考えた方が良い。

 

とまあ、冗談はさておき、少しは真面目な話もしてみよう。クロッキーをデッサンの基礎技術のひとつと捉え、「人体の正確なカタチのとり方」や「解剖学的理解」の一助として「学び始める」人がいる。クロッキーを研鑽していくと、必然的にそれはデッサンと繋がっていくので、そんな考え方もまちがいとは言えない。しかし、(私見なので批判されるかもしれないが恐れず言わせていただくと)それではちょっともったいないというか、クロッキーの面白さの醍醐味がないように思えてならない。「クロッキーの面白みって何?」と聞かれたら、それはなんといっても生命のもつ根源的な躍動感に触れることだろう。さらに言えば、技術的に下手な奴が上手い奴を「感性」によって凌駕する一発逆転だってあるわけで、そう考えるとクロッキーの良し悪しに上手い下手は関係ないと思うし、もっとラジカルで良いはずだ。いつだって僕は、クロッキーを上手く描こうなんて思わないし、下手のままで良いと思っている。ただ、対象と生々しいやりとりをしたければ、自分もまた赤裸々な感性を解放していかなければならないということだ。

写実的な人物デッサンでは、僕は、観察による描写の積み重ねを軸にプロセスを組み立てていくことが多いが、クロッキーの場合は、ちょっと違っている。うまく表現することが難しいが、フォルム、動き、空間、質、色彩など対象のもつ本質的な一切合切を、一息で飲み込んでニュアンスとして捉えて描かなければならない。それは呼吸と同じようなもので、対象のもつエネルギーと自分の内側から込み上げてくるエネルギーをうまくシンクロさせることがポイントだ。だから、僕の場合、クロッキーはスポーツと同じように自己のフィジカルな面を整えることに腐心する。床にペタンと座って深く息を吸い、ゆっくり吐き出しながら描く。眼で対象を追うだけでなく、音や空気を毛穴から吸収するような気持ちで描く。忙しく動き回りながらベストな場所を見つけ、足腰を使って描く。集中し、でもリラックスして腕の力は抜いて、指先は自分の肩甲骨から繋がった一本の太い鞭のようにしなやかに動かさなければならない。

モデルの裸身は、いつも僕の心に何かを語りかける。モデルが生み出した動きやポーズは、僕の内側から溢れる内発性と結びつき、描く過程で様々な感情を覚醒させる。喜び・悲しみ・怒り・憎しみ・憂い・哀しみ・・・クロッキーの中でひく一本の線の中に、そういった生々しい感情をのせて描きたいと願って止まない。「下手の横好き」は、いつかくたばるまで続くだろう。(笑)

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下手の横好き” に対して1件のコメントがあります。

  1. ロジェの生徒吉田恵子 より:

    今年に入りブログ再開楽しみに読んでますよ。
    クロキーの文読みながら納得
    紙の山捨てると私の情熱捨てるみたいだし
    これからもいっぱい書いてください

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