放免祝い

定光寺・千歳楼・・・。制作をはじめたのは、昨年8月末のことだった。あれから秋がきて、冬を越え、春になり、また夏に近づこうとしている。総制作時間は60時間を経過したが、まだ全体の20パーセントほどしか描けていない。4月だというのに日中の気温は30度を超える日もある。油断して腕をまくって描いていたら、両腕が赤く腫れあがってしまった。麦わら帽子をかぶっているが、直射光にあたり続けるのは結構体力を消耗する。喉がひりつき、水分補給は欠かせない・・・一見すると苦行のようであるし、実際苦行なのだが(笑)、ここには苦しみ以上の喜びがある。楽しいのだ。

この風景を初めて見たとき、この露骨なまでの荒廃ぶりに衝撃を覚え、醜悪さ、不快さ、怒り、嫌悪感といった、内から沸き起こる圧倒的な負の力に打ちのめされ、描かずにはおけない衝動にかられた。バブル期からの栄枯盛衰を嘲笑うかのような焼け跡は、かつてそこにあった、きらびやかな虚飾の一切を消失し、それと引き換えに何か言い知れぬ真実味を露呈しているように感じた。

しかし、描き続けていくと、(当然のことながら)この特異な風景でさえも、自分にとっては「見慣れた風景」になっていく。そしてそれに伴い、初めに感じた圧倒的な負の力は、少しずつ影をひそめ、ついに消えていこうとしている。表層的な感情は、時の流れに洗われて、例外なく皆、姿を消してしまう。後に残るのは、いつもしんと静まり返った空虚な感情である。

空虚であること・・・。これは僕が制作の上で、最も欠かせない条件の一つだ。空虚となったその場所ではじめて本当の対話が始まるのだ。一枚の絵を描く中に、深い感情が生まれるのは、いつもそこからだ・・・。

対話と言っても、千歳楼が何か話すわけではない。僕は千歳楼という大きな鏡を前に、自己を映し出し、内省的な対話を始める。それはまるで自己が自己の深部に向けて矢を放つような行為であると思う。そして、もしその矢が僕の深部を貫くことができたなら、その矢は、いつかきっと、あなたに届くだろう。

この風景を描くプロセスは、自分の手の内にある技術から考えても、おそらく無数にあったように思う。もし時間に限りがあるとしたら、はじめに大きく全体を描いて空気感を捉え、適切な省略を施しながら必要最小限の部分を描いて完成させることだってできる。しかし、それでは意味がないのだ。

おおまかなフォルムの位置関係をつかむと、固有色と質感を手掛かりに、いきなり細部へと踏み込んでいき、全体的な空間の整合性は最後に調整をはかる・・・そんなやり方で描くことにした。このやり方は断片的であり、部分と部分の統合性をつかみにくく、ひどく非効率的な手法に思える。でもこのやり方が、最も自分の描きたいものに近づくことができるのではないかと思う。

少しずつ作品に密度が出てくると、通りがかりの人たちが足を止め、声をかけてくれる。狭いアトリエにいる時は、人から声をかけられるのが苦痛であるが、屋外で描いているときは、なぜか声をかけてもらえると嬉しい。

今日、描いていたら、白い高級ワゴン車が横付けされ、一組の親子が作品を見に来てくれた。成金風の父親と思われる男性は、いかにも昔、遊んでた風体で好奇心旺盛な眼差しで僕の絵を見てくれた。

「昔、刑務所にいた連中は、出てくるとここで放免祝いをしとったなあ・・・」と言い、まだ何か言い足りない顔で去っていった。

僕は千歳楼に「顔」に見立てているのだ。老人の顔・・・。深い皺の一つ一つに人生の追憶があるように、劣化の一途をたどる外壁や飛散した窓ガラスの中に、消失した時間を見る。一つの窓を描く中に、その窓の中を経過した情景を想う。かつてここにたくさんの人々の集いがあった。観光旅行、慰安旅行、結婚式、そして放免祝い。

今やそれらはここに無い。しかし、無いことで生まれる感情がある。どうやらそれが、僕が描き出そうとしている主題のようだ。

 

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