自由の代償

厚さ3ミリの薄い段ボールを型紙に沿って鉛筆でけがき線を入れ、カッターで切り抜き、木工用ボンドで接着する・・・段ボールを煉瓦状に組んでいるのだ。こんな作業をここ最近ずっとやっている。これは、NAF(ながくてアートフェスティバル)に出展する立体作品の途中段階だ。30センチ積み上げるのに単純に計算しても800ピースの部品を必要とする。ここまでやって全体の5分の1くらいなのだから、実に気が遠くなる作業だ。本当に心が折れちまいそうだ・・・(笑)

何年ぶりかに造る立体作品は、趣味性を可能な限り排除し、主題が前面に出てくるようにと願っている。今回の展示は、コンセプだけでなく制作の行為そのものに意味があるのだ。この作品は、死と再生の循環を象徴するオブジェであり、このパートは展示の中核をなすもので、大変だけどやり切るしかない。円環構造と積層による時間的な表現が、今回の出展のサブテーマになっている気がする。制作プランそれぞれに対しキーワードを与え、展示空間全体で一つの主題を構成する。それが今回自分に課した命題だ。しかし、時間的に間に合うかな・・・?本当にできるのだろうか。こんなことを夜な夜なやっていると、心にちりちりと火がついて毎度お馴染みのあの感情が訪れる。

 

あー、はいはい・・・。

また来ましたね、孤独さん。

はあ~・・・淋しいよ・・・

・・・ナニソレ?

自分デ望ンデ始メタコトデショウ。

ナラ、ヤリキッテ責任ヲ果タシナサイ。

 

もしも世間一般の人間がみんな時計まわりに回るネジだとしたら、創作に向かう僕というネジは、今のこの瞬間、みんなと逆にまわるネジになってると思う。世の中はみな、何かのために貢献し、その対価として何がしかを得る。そんな仕組みで生きている。でも僕がやることは、何かのためではなく、見返りに得られるものは何もない。ただ僕は、自己の中核にあるものと、愚直に向き合い、形にしたいだけなのだ。

人が自由を求めるならば、その代償として、もれなく孤独がついてくる。孤独を乗り越えたいなら、そこに知性は必要としない。それはむしろ邪魔なだけだ。

孤独を乗り越えたいなら、ただ、馬鹿になればよいのだ。

馬鹿になって裸になって、素直な自分になればいい。

 

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