二律背反のカタチ

表題未定(NAF出展に向けて制作中)

「禍福はあざなえる縄の如し」ということわざがある。これは、「幸福と不幸は、より合わせた縄のように交互にやってくる」ということを戒めることわざである。

また、これと似たことわざに「塞翁が馬」ということわざがある。このことわざには由来となった漢文があることをご存知だろうか。それは、こんなお話だ。

 

国境のとりでの近くに、運命判断など占いの術に長けた老人の一家があった。ある日飼っていた馬がなぜか突然国境の外、胡人(北方の異民族)の住むあたりに逃げていってしまった。人々が見舞いにやってくるとこの老人は

「今度のことは福を呼び込んでくれるかもしれんよ」と言う。

それから何か月かして、この逃げた馬がなんと胡人の飼っている立派な馬を何頭か引き連れて戻ってきた。人々がまたやってきて「良かった良かった」と祝福すると老人は

「これは災いをもたらすかもしれんよ」と言う。

この老人の家では良馬をたくさん飼っていたが、ある日老人の息子が馬から落ち足の骨を折ってしまった。人々が見舞いにやってくるとこの老人は

「今度のことは良いことかもしれんよ」と言う。それから一年が過ぎ、胡人が大挙して国境を越えて侵入してきたので、体の頑健な男子はみな兵隊にとられてしまった。彼らの多くはこの国境のあたりで戦死しましたが、老人の息子は足を悪くしていたため徴兵を免れ、親子ともども命拾いしたということである。

【参考】中国語スクリプト http://chugokugo-script.net/koji/saiougauma.html

 

東洋思想には、この話のように、良いはじまりが悪い結末を招き、その悪い結末が新たなはじまりとなって良い結果となり、帰結することなく連なっていく話がある。このような話は、東洋思想における円環構造の典型的な例でないかと僕は思う。

写真は、NAF(ながくてアートフェスティバル)に出展に向けて制作途中の4つの作品の中の1つである。表題は未定だが、説明すると、積み上げられた11の工場が今まさに倒壊するところ・・・。この作品は、出すべきか出さざるべきか、少し迷うところだが、思い切って出すことにした。展示空間の中でこの作品が成立するためには、一定のバランスを保って立っていることが求められるが、この作品の表現にはバランスを崩し倒壊する様が求められる。制作を通してこの矛盾した要求の中をぐるぐると巡り続けることになるのだが、一方でどこか僕は、こうした二律背反性を表すカタチを求めているようなフシがある。でも、こういった愚行って僕だけだろうか?広くマクロな視点で世界を見たらこんな愚行の方が、むしろずっと人間世界のリアリズムに近いのではないだろうか?

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