Little prince

月の使者(部分)

数日前、すでに僕は「月の使者」の全体を描き終えている。いつもならこの段階で完成とするところだが、この先、1週間以上かけてさらに手を入れていこうと思う。ここからは対象を精密に描くというよりは、空気感や物の重さ、手触りや温度のように目に見えない「実感」のようなものを描き分けていく仕事となる。鉛筆の硬度を上げ、4~7Hの硬さで物と物の間を横断的なストロークで重ねたり、F~2Hくらいの硬さで再度描き起こしたりしていく。自分の場合は、さらにここに水で薄く溶いた墨汁を投入する。油彩画でいうところのグレーズのように使うことができ、鉛筆では出しにくい密度を出すことができるのだ。ただし水で溶いた墨は、紙を傷つけやすい上、やり直しが効かないので慎重に進める必要がある。

制作途中で、数回にわたりモチーフを変更したが、最終的には、机上に本を一冊開いた状態で置くことにした。本は、僕の大好きなサン・テグジュペリの「星の王子さま」である。画面上に何か白い余白のような空間がほしいと思い、このアイディアを採用したのだが、実際描いてみると、寓話のメタファーである「本」が置かれることで、他の非日常的なモチーフになにかしら必然性のようなものが加わった気がする。

星の王子さま」を初めて読んだのは、芸大3年生のころだったろうか。この本は当時の友人から借りっぱなしのまま今もまだ家にあるものだ。(もう時効だろうから白状すると、借りた相手は当時ちょっと好きだった娘だった)

 

―小さな家ほどもない星に住む王子さまは、美しくて気むずかしい一輪のバラといさかいをおこし、旅に出る。星々を巡る中、出会う人たちは、王様、うぬぼれ男、呑み助、実業屋、街灯の点灯夫、地理学者・・・と、変に大人ぶった大人たちであった。しかし地理学者から花の命のはかなさについて教えられ、星にバラを残してきたことを思い始める―。

序文でこの作品が「かつて子どもだった大人の友人」に捧げられていることからも、この物語は、大人が読み解くべき示唆に満ちており、子どもが大人になる過程で失われていく創造性や無垢な洞察力などについて気づかされる。「花」は恋人の女性を、「星々の大人たち」は疲弊し病んだ現代人を象徴的に表しており、童話という形を借りて文明批判や原点回帰を訴える側面もある。

地球で無数のバラを見た王子さまは、星に残してきたバラが、それらのどのバラともちがう、自分にとって、たった一輪のバラであることに気づかされ、星に帰ることを決意するのだが、この物語のラストはとても哀しく、また謎めいている。

 

「ね、遠すぎるんだよ。ぼく、このからだ、持ってけないの。重すぎるんだもの。」

 

死の使いを象徴する猛毒のヘビと対話した王子さまは、夜、自分の星が砂漠の真上に位置するとき、作者に見守られながら、しずかに倒れ、消えてしまう。サン・テグジュペリは、この地上を生きる肉体はカリソメのものと捉え、魂の不滅を信じていたのだろうか?この物語がこれだけ世の中で広く読まれるのは、この神秘的な世界の捉え方にあるのではないか、と僕は思う。さらに言えばこの感覚は、戦時下における飛行士だったサン・テグジュペリの、現実世界と不可知な世界との境界を行き来する体験から生まれたものではないだろうか。この本を読んで、今もなお僕の心に残り続ける言葉がある。

 

「たいせつなことはね、目に見えないんだよ・・・。」

 

※オマケ:アイキャッチに使った画像は大学卒業ちかくにこの本を読んで描いたドローイングである。

1994~95 little prince

 

 

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です