パニック

制作年不明 パニック

“AU”と聞くと近ごろは携帯電話会社をイメージする人が多いと思うが、僕の場合は仕事柄、自閉症を意味するオーティズム(Autism)の方をイメージしてしまう。

自閉症研究の礎を築いた児童精神科医レオ・カナー(1894~1981)は発見当時、この症例が統合失調症の陰性症状に似ていたことから、クライアントの成育歴に起因する「心因論」を唱えた。しかし以後の研究を通し自説を撤回、現代では、何らかの脳の器質的要因による先天的な発達障害と認識されている。(しかし、根本的な原因は究明されていないそうである。)近年、自閉症は、他の自閉症圏の発達障害(高機能自閉症、広範性発達障害、アスペルガー障害など)を含む連続体として捉えられ、自閉症スペクトラム障害と呼ばれることもある。

自閉症の子どもたちは多くの場合、知的障害を併せ有し、認知面の偏りから強いこだわり行動や、コミュニケーションの難しさがある。人と接していても目が合わない。エコラリア(反響言語)と呼ばれるオウム返しによって会話が成り立たない。急な日程変更などの環境の変化によって不安定になる。何かに固執し常に同じ行動を繰り返す。あるいは、跳びはねたり、奇声をあげたり、集団に参加できなかったり・・・

最近では自閉症をテーマに盛り込んだ映画やドラマもたくさんあるので、ご理解いただける方が多いのではないかと思う。

 

本作は、画用紙に色鉛筆とオイルスティックで描いたドローイングの中の一枚である。僕は、しばしば主題やイメージが無いままノープランな状態で描き始める。色鉛筆を使って画用紙のあちこちに「薄皮に傷をつける」ような気持ちで柔らかい線を刻む。ひとつ刻んだ線が次の線を求め、感性と運動が一体となり、連綿とした線運動が引き出されていく。やがて色鉛筆で描かれた繊細な「傷」は、集積した束になり、オイルスティックによって塗りつぶされて鮮烈な色彩を放ちはじめる。縦横無尽に走っていたストロークは取捨選択され、色彩のタッチは単純化された色面に統合されていく。画面に描かれたのは、歯を食いしばり、吊り上がった眼で髪を揺らす少女の絵であった。

 

この絵は、十数年前、僕が担任していた学級に在籍していた、重度の自閉症のある女子生徒を想起させた。この生徒は、発語はあるが、コミュニケーションは成り立たず、何か納得できないことがあると大きな瞳から大粒の涙を流しながら、パニックになった。大声をあげ、信じられない速さで身体を左右に揺さぶり、平手で頬を打って自分で自分を傷つけた。一度パニックになると、収まるまで時間がかかり、よく外に連れ出されていった。そして母親は、そんな娘を思い懇談会でよく涙を流した。

これまで僕は、特別支援教育の現場で、数えきれないくらい多くの自閉症児と関わってきた。自閉症と言ってもその実態は様々で、なかなかひとくくりでは語れないが、ひとつ共通して言えることは、皆「生きにくさ」を抱え、その「生きにくさ」と共に生きているということである。自己肯定感をもてず社会から疎外されたような孤立感の中を生きている子どもたち・・・。でも僕は、不思議とそんな子どもたちが好きなのだ。自閉症のある子どもたちの不適応行動も、どこか人間の性分の深い根本から出てきたものに見える。この例えで上手く伝わるか自信はないが、壊れかけた傷口の中に、虚飾のない人間の本質を垣間見る気がするのである。

障害のある子どもたちの笑顔は本当にかわいい。子どもたちの何気ない言動にこれまでどれだけ癒されただろう。僕は特別支援教育の現場で子どもたちに教えながら、逆に彼らから学ぶことがたくさんあるように思う。

【参考】

ドローイング1998~:http://studio-bosque.com/gallery%e2%85%a1/drawing1998/

 

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