チベットのヤギ

2007年のこと。僕は、特別支援学校での勤務ぶりが評価され、現職のまま愛知教育大学の一年課程に在学することになった。それはいわゆる「内地留学」という制度で、大変光栄な、この上ない待遇であった。何しろ一年間、給料をいただきながら学生生活を送り、好きなだけ勉強できるのだから。その一年間、僕は大学生と一緒に講義を受け、特別支援教育について多くのことを学んだ。また公私ともに充実した日々を送っていたように思う。毎日カワサキZZR400に乗って通学し、講義終了後も自主的に夜間のセミナーに参加した。休日には自宅の庭をリフォームし、好きなだけ読書をしたり絵を描いたりして過ごした。

その年の夏休み。ボーナス1回分の大金を投資して、かねてから憧れの地であったチベットへの旅行を決行した。昔からなぜか僕は、標高が高くて酸素濃度の薄いところに行きたがる癖があるようだ。(初の海外旅行で行った芸大時代のペルー・ボリビア旅行も標高3500m以上の高地だった。)

高校時代、世界史の教科書に小さく載っていたポタラ宮の写真を見つけた時、その荒涼とした地にそびえ建つ荘厳な姿に衝撃を受け、いつかこの風景を見に行こうと心に決めていた。そんな念願のチベット旅行が自分史上最も心に残る旅になったことは言うまでもない。この旅行は、西安から中国に入国し、蘭州から青蔵鉄道に乗ってチベット自治区へ入り、さらに陸路を経て中国雲南省へ南下し、世界遺産・麗江を巡って帰国する、15日間のスケッチ旅行だった。しかし旅行の話やスケッチの話は、また別の機会に・・・。今日はこの旅行で体験した不思議な話を紹介しよう。次に紹介する画像は、帰国後、自作編集した2時間もののドキュメンタリー映像に挿入するために描き下ろしたイラストである。

【参考】固定ページ:「旅行」 http://studio-bosque.com/gallery%e2%85%a2/travel/

チベット自治区での滞在も終盤を迎えた頃、ツェタン(澤当)という街を訪れた時の話である。早朝から移動をはじめ、広大な河を1時間以上かけて渡り、バスに乗り継いでサムエ寺を訪れた。

チベット自治区は、外国人がラサ以外を訪れる場合、ガイドの同行が義務づけられていた。したがって、一人旅をするつもりだったが、実際は、自分、ガイド、運転手、現地で雇った通訳の4人で行動することになった。

サムエ寺の入り口に垂れ幕には、ヤギの絵が描かれていた。チベットではヤギが神の使いとして象徴化され神聖視されている。

入り口を入ると、ふと目にとまるものがあった。

重そうな木戸の脇にヤギが寝そべっていた。

そのヤギの姿は、さっき見たばかりの入り口の垂れ幕の絵とそっくりだった。

よく見ればヤギは毛が抜けて素肌の一部が見えていた。年老いたヤギのようだった。

動物好きの僕は、人差し指でそっとヤギに触れた。

するとヤギは、ブルブル震え出した。まるで痙攣するように。

僕はびっくりして身を引いた。

すると、ヤギも僕の動きに合わせ、のそのそと立ち上がった。

そしてなぜかヤギは僕についてきた。ここは寺院の中だが大丈夫なのだろうかと思った。

ヤギは僕に追いつき、僕の横に並び、その体を僕にすり寄せるようにしてついてきた。

僕が立ち止まるとヤギは後ろ足で直立し、立ち上がって顔を僕に近づけてきた。

ヤギは何か真剣な面持ちで僕を見つめ、口元をパクパクと動かしていた。僕にはそれが、何か語りかけようとしているように見えた。

僕は、サムエ寺の1階部分のすべてをヤギと同行した。1階は床が土間だったので土足で移動できたが、2階部分は靴を脱いで階段を上がらなければばらない。ヤギはそれでもついて来ようとした。

すると見かねて寺の奥から2人の僧侶がやってきた。

2人の僧侶は、抵抗し暴れるヤギを捕らえ、

寺の外へと連れ出した。

ヤギは何度も激しく抵抗し、僕の方を振り返りながら、連れ去られて行った。

その時、傍らで一部始終を見ていたチベット族の老婆が僕に何かを話した。通訳の翻訳によると、

「あのヤギは、おそらく、あなたの前世の妻だろう。」と言ったという。

サムエ寺には、「死者の扉」というドアがあった。細長い廊下の奥の薄暗いところに近代的な金属製のドアがあった。墓所なのだろうか。印象としては遺体安置所のような陰鬱な感じのする扉だった。

ドアには生前に撮影されたと思われる故人たちの写真が無数に貼られていた。扉の隙間には紙幣がねじ込まれていた。

死者の魂を悼みながら、人間は死してどこへ行くのかという疑問に包まれた。それは静寂で途方もない感情であった。

僕たち4人は、車に乗り込み、宿に帰ることにした。車名を覚えていないが、古いフォルクスワーゲンのセダンだった。

エンジンをかけ、ギアを入れようとした瞬間、シフトバーが折れてしまった。さらにその直後、車の後部に激しい衝撃音があった。

現地の観光用に調教された馬が、暴れて後部に激突したのだ。この馬は、普段非常におとなしく、なぜ暴れたのかわからないという。

車を点検すると、後部のボディが変形し給油口の蓋の部分が破損していた。

その後、車の修理代や補償を巡って、運転手と現地の人たちの間で口論がおこり移動時間が大幅に遅れてしまった。

ガイドの劉さんは、「もしかしたら、あのヤギが僕たちの行く先を案じて、足止めさせたのかもしれない。何か怖いね。」と言った。宿への帰路、時々小雨が降っていた。僕が滞在していた8月のチベットに雨が降ることは滅多にないことだという。あのヤギは、僕に何を伝えようとしていたのだろう・・・。今もなお、あの時のヤギの、何かを訴えかけるような表情が忘れられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です