芸大を卒業する、君たちへ。⑤

 

1990~1991 男

先にも述べたと思うが、“ファインアート系芸大生”の「卒業」は、創作を続ける上でひとつの試練である。アーチストと言えど、一社会人として生きていくためには働いて収入を得る必要があり、生活上の困窮と向き合うことを余儀なくされる。僕自身も、卒業後「お金」や「場所」などの問題で困窮したのは言うまでもないが、アートを続けていく上で、実質的に最も深刻だったのは「人」に関わる問題だったように思う。

芸大にいた頃は、自分の周りにいつも普通に仲間がいて、(好きな奴、苦手な奴、変な奴、いろいろいたけど)芸大という懐の広い母体に帰属し、仲間とつながっているという安心感があった。しかし社会に出てしまうと友人たちは地方に散ってしまい、元来自分から積極的に仲間を作ることが苦手だった僕は、ひどい孤独感に苛まれたことを思い出す。そして、それまで周りにいた仲間たちの存在が、自分の創作にどれだけ多くの活力を与えてくれていたかに気づかされたのである。人間は本来、社会的な生き物であるというが、僕のようにひきこもりがちで独りでも平気と思っていた者ですら、そうだったのだ。このことが示唆するところ、アートを続けていくには、結局、人との結びつきを無視できないということだ。

しかし、アーチストをとりまく人間関係というのは、就職先の会社組織のように、人と人とが近しいところにいて分かりやすい関係性でつながっているわけではなく、人と人とが離れていて、それぞれに自立しているように見える「点」と「点」を自分からたぐり寄せていかなければならない。自分をとりまく人間関係に自分なりのイメージをもって把握していかなければならないところに難しさがあるのだ。

 

アートを続けていく上で、様々な道があることについては、先回のブログ「芸大を卒業する、君たちへ。④」でふれたが、芸大生であれば、一度は皆、プロフェッショナルへの道を志望するのではないだろうか。もしプロの作家として生きていこうと望むなら、プロの道にも大きく分けて「画壇型」と「提携型」の2つの方向性があることを知っておくべきである。

 

「画壇型」の著名美術団体といえば、日展、国画会、院展、二科展、白日会などだろう。WEB上でホームページを参照すると名簿が掲載されているが、これらの美術団体は、会員制によって組織され、一般公募を募りながら、定期的に大規模な展覧会を開催している。美術団体とは、言ってみればアーチストの組合のようなもので、著名美術団体に所属することで美術年鑑に掲載されることもある。組織としては「理事」「会員」「準会員」「非会員(一般公募者)」などのヒエラルキーがあることが特徴である。展覧会の出品回数や受賞歴などによって作家の格付けを上げることができるほか、組織の母体が大きいので、社会的な帰属感が得られやすいのではないかと思われる。洋画、日本画、彫刻、版画、工芸、写真など、一定のジャンルの中で制作を続けていきたい人や、美術団体のかかげる理念や作風がマッチする人であれば、画壇型プロフェッショナルを志望するのもひとつの道である。美術団体への所属を望むのであれば、まずは一般公募から始めることとなるが、芸大関係者や知り合いの中に会員がいれば、その人と関係を密にし、情報を得ていくとよいだろう。

 

一方、「提携型」プロフェッショナルとは、アーチストとギャラリストが提携関係を結ぶフリーランスな活動形態である。かつて日本の黎明期における美術界は、画壇型の活動形態が中心だったが、現代に近づくにつれ、ギャラリーを拠点とするアーチストの活動形態が多く見られるようになった。画壇型美術団体が、同業者による集団であるのに対し、ギャラリーを経営するオーナーは、アーチストとは異業種の立場であり、著名なギャラリーであっても個人経営から創設されたところが多い。かつて「画廊」と呼ばれていた時代、画廊のオーナーは、展示会場の運営と作品の販売を中心に行ってきたが、戦後、海外から導入した新たな発想によって、ギャラリストは、作品の展示や売買にとどまらず、企画展の主催、プロモーション、若手アーチストの育成、制作環境の支援、情報発信、美術館やキュレーターとの連携など、“戦略的に開かれた事業”を展開するようになった。

アーチストとギャラリーの提携関係が生まれた要因のひとつとして、近代以降、既存の枠組みに納まらない新たなスタイルのアートが出現したことが考えられる。例えば、マルセル・デュシャンがアンデパンダン展に偽名で「」という作品を出展するも出品拒否を受けたという史実が示すように、画壇型美術団体への出展は、その理念や作風の中で調和がとれていないと難しい。また、インスタレーションやパフォーマンスのように、作品が成立する上で空間的要素が重要なファクターとなる新しいタイプのアートは、画壇型の共同展示よりも、ギャラリーのフラットな空間の方が適しているといえよう。

このようにギャラリーは、多様化していくアートのニーズから生まれ、アートシーンの裏舞台でアーチストを支える事業を展開してきた。ギャラリストはアーチストに発表の場を提供する見返りとして、売り上げた作品の収益を分配し得ることができる。ギャラリストとアーチストはいわば二人三脚に似た関係にあり、相互の役割を果たしながらアートを世の中に発信していく・・・。

このような提携関係を作ることができれば安泰だが、実は、これがなかなか容易なことではないのだ。

ひとえに提携と言っても、(日本のギャラリーの場合は特に)決まり切った契約書を交わすわけではない。アーチストは、まずはギャラリストに顔を覚えてもらうところから始まって、作家としての資質、有望性、活動の方向性などについて認めてもらわなければならない。受賞歴などあって在学中から世に認められた者でない限り、卒業後すぐにギャラリーとの提携関係など、まずあり得ないだろう。はじめは安く借りられる公共施設のギャラリースペースなどを借りて個展やグループ展を開催したり、公募展に出展したりして、細々と活動を続けていくこととなる。そして先輩や有名作家の搬入搬出をただ働き同然で手伝いながら、人脈を広げていく。そんな地味で日の目を見ない、不安な日々が長く続くのだ。そんな中、かけだしの若手アーチストは、どのようにして自分にあったギャラリーを見つけ、関わりを作っていけばよいのだろうか。

 

・・・つらつらと書いていくうちにずいぶん長くなってしまった。今日はここで一旦切ろう。次回はギャラリーについて、もう少し詳しく話そうと思う。

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