芸大を卒業する、君たちへ。⑥

制作年不明 ENTOTSU

都市部を歩けば、今やあちこちにギャラリーを見かける。僕が芸大を修了した23年前と比べると、ギャラリーは、その数が増えただけでなく、都市郊外や過疎地にも点在しはじめている。ひと気のない街はずれに、古びたインフラを再利用したギャラリーが軒を構えると、地域一帯に息を吹き返したかのような人の流れが生まれたり、周辺にアートを中心としたコミュニティが形成されたりする。このような光景を僕は何度か目にしてきたが、その度にアートのもつ“再生力”を感じさせられる。そして、そんなギャラリーの在り方も、近年、変容しつつあるようだ。

 

恥ずかしい話だが、芸大在学中の僕は、自分の創作に没頭するがあまり、街へ出てギャラリーを巡り歩くこともほとんどなく、そういった地域社会とアートの関わりについて気づく機会を逃していたように思う。そして、それは後々、大学を出た後のスタートを大きく出遅れさせただけでなく、創作を続ける上でつまずきの要因となった。

アートは、アーチストが創出する作品だけで自己完結するのではなく、美術館やギャラリーなどの発表の場を得て、社会とコミットしてはじめて成立しうるものである。・・・と、いうことは、在学中、大学のアトリエにこもって自分の創作に没頭していた自分は、アート全体の半分については深く学んだが、残り半分については、ほとんど学んでいなかった、ということになる。

しかし、それも無理もないことのように思う。なぜなら学生の本業は、学ぶことなのだから、大学なら大学で、しっかり学ぶべきと思うのが筋というものだろう。しかし、辛辣な言い方をすればそれは、純粋培養的な学びではあるが、実践的な学びではなかったのだ。

 

一方、在学中、時々しか大学に顔を出さず、あちこち遊び歩いているように見えた連中は、ギャラリーの搬入搬出のバイトや、そこで知り合った先輩や著名作家たちとの飲み会に明け暮れていた。彼らは単に、遊び呆けていただけでなく、大学の外にある、本場のアートシーンを肌で感じ取る機会に恵まれていた。ギャラリーの展示作業は、重労働で時として深夜まで及ぶこともある。大変な仕事を協同で行う中で、作家、ギャラリスト、学生アルバイトに連帯感が生まれ、展示を終えた後の打ち上げは、格別な達成感があった。酒を飲みながらくつろいだ空気の中、作家の語る生な体験談や創作への思いを聞くことができる。ギャラリストと話せば、展示の段取りやマネジメントの裏話に始まって、今何が新しく何が求められるのか、アーチストの視点にはない、現実的な話を聞くことができる。

・・・今振り返ると、そういう感覚を早い段階から身につけた者の方が、卒業後のサバイバルゲームに生き残るには有利かもしれない。

 

ギャラリーは今、全国各地に星の数ほどあって、その事業の在り方も様々である。しかしそれらを巡ってよく観察していると、世の中に発信されていくアートには、対照的な両極があるように僕は感じる。(これはあくまで僕の個人的な見方にすぎないが。)

その一つの極とは、例えば「アートは、美を追求するものである」とするような、人間社会の価値の整合性に沿って創作を生み出していく立場である。バルチュスという画家が、少女への偏愛とルネサンス期にあった精神性を融合させながら、優れた絵画を生み出したように、アートは、生活に美と調和を与え、潤いをもたらすと捉えることができる。一方、もしそれが、通俗性に強く傾くと、それはラッセンやヒロ・ヤマガタなどもこの極に接近したアートと見ることができるだろう。

 

一方、もう一つの極とは、「芸術は爆発だ」という岡本太郎が残した言葉が示すように、アートは既存の価値の枠組みから脱却し、自由で創造的な力を解放することだとする立場である。ジャクソン・ポロックがアクションペインティングによって、伝統的な絵画手法を破壊し、直接的で本能的なアートの地平を開拓し得たように、アートは現代社会に蔓延する抑圧に抵抗し、人間の本能的な潜在力を喚起するものと捉えることができる。一方、もしそれが、集客をみこした享楽性に傾くなら、サブカルチャーや街おこしのアートイベントなどもこの極に接近したアートと見ることができるだろう。

 

アーチストは、このような両極を揺れ動きながら、時として折衷的な立場をとりながら、なんとか生き残りをかけてがんばっている気がする。平たく言えば、「認められなければやっていけない」し、かといって、「やりたいことをやっていなければ続けていけない」し・・・といったところだろうか。ひとえにファインアート(純粋芸術)と言っても、実際のアートシーンはドロドロして、“人生いろいろ”なのである。

そして、そんなアーチストたちの“人生いろいろ”をのせたギャラリーも、やっぱり“人生いろいろ”なのだ。さらに言えば、先回のブログで話したような、いわゆる「提携型」の事業を展開するギャラリーは、全体の中でも極めて稀少である。以下、そんなギャラリーの傾向についてまとめてみよう。

 

◎ レンタルスペース型

空き状況に応じて賃料を支払えば誰でも借りられるフリースペース。このタイプのギャラリーが全体の多くを占める。美術館などの公共施設のギャラリースペースがこれに該当するほか、私営の場合もあるが、オーナーが展示や販売に介入しないことが多い。売れ筋の小品を展示するのに向いたギャラリーから、フラットで現代アートの展示に向いた空間など、空間の特性は様々であるため、趣味的な作品発表の場から若手作家の活動の場まで、展示の形態は様々である。DMやフライヤーの作成、作品の販売などは、基本的にアーチストが全て自分で行わなければならない。

 

◎ オープンハウス型

ギャラリーというよりは、自宅を展示用に開放して行う展示。作家のアトリエを解放する場合や、コレクターが、自分の所蔵するアート作品の展示を行う場合がある。いずれの場合も、作品を所蔵する本人が自分の所有する場所で展示を行うので、その人の傾向によって展示空間や作品が決定される。入場料をとって営業している場合や、展示即売を行っているケースもある。

 

◎ 店舗併設型

ギャラリーカフェ、画廊喫茶など、飲食店の店舗の一角にギャラリースペースが設けられているケースが多く、工芸品やアクセサリーなども販売目的で併設されることがある。店舗経営者は集客と店舗の美観を保つことができ、アーチストとオーナーの相互に利益があるが、デメリットとしては店舗経営が主体にあるため、展示形態には多くの制限がある。(店舗の美観を損なわない、小品に限るなど)しかし稀に、ギャラリーの方に主体をおくカフェもあり、芸術的純度の高い事業を展開しているギャラリーカフェもある。また、最近では、アートアクアリウムなど、プロジェクションマッピングと水族館の共同事業のように飲食店以外の店舗併設型事業もみられるようになった。インスタグラムなどのSNSの普及に伴い、今後店舗併設型事業は増えていくのではないだろうか。

 

◎ 画廊型

提携関係にある美術団体に所属している作家の作品を扱い、美術作品の販売を目的として事業展開している画廊。画商という販売促進のプロがコレクターに作品を紹介するスタイルは、貴金属や高級車のディーラーの販売と非常によく似ている。大手有名百貨店などの画廊では高額な価格で販売されており、商品化された美術作品を扱うケースがほとんどである。

 

◎ 提携型

アーチストとギャラリストが提携関係を結び、事業展開するギャラリー。しかし、このタイプのギャラリーは、全体の中で占める割合が非常に少ない。所属作家による企画展のみを行うギャラリーと、企画展のみに限定せず、一部レンタルスペースとしての門戸を開いているギャラリーもある。ギャラリーは、所属作家に対し、展示場所を補償するかわりに、作品が売れた場合の収益の一部を得ることにより相互利益を得ることができる。またDMやフライヤーなどの発行、プロモーション、宣伝活動の他、若手作家の育成(助成金を出し海外への短期留学を斡旋する)などの先進的な事業展開をするギャラリーもある。

 

 

またしても、つらつらと書いていくうちに長くなってしまった。今日はここまでとしよう。

次回は、提携型ギャラリーの見つけ方と関係の作り方について話そう。また、いわゆるホワイトキューブ型ギャラリーの限界と、現代アートが突破したその先の事業展開について。お楽しみに…。長いのにちゃんと読んでくれてる人、ありがとうm(_ _)m

 

 

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