芸大を卒業する、君たちへ。⑧

 

制作年不明 ハートに火をつけて

今から遡ること32年前の1986年のことである。今や伝説的キュレーターとなったヤン・フート氏(1936~2014)のキュレーションによって、「シャンブル・ダミ展」という展覧会が開催されたことをご存知だろうか?

この展覧会は、それまでの美術史上、類を見ない画期的な企画であったことから、世界中のアート関係者に衝撃を与えることとなった。

シャンブル・ダミ”とは、“友人の部屋”という意味であるが、この企画のどこがすごいかというと、展覧会場が美術館やギャラリーのような既存の展示空間ではなく、公募によって選出したベルギーのゲント市にある50軒の一般民間人の家屋を会場として借用し、世界的アーチストを招請してアートイベントを開催したことにある。展示空間があまりにも卑近な日常空間であることも奇想天外であるが、展示に関わるほとんどのスタッフを一般募集した市民の手によって作っていくという手法も当時としては斬新なものだった。

 

その後、シャンブル・ダミ展のような企画は、世界中に伝播し、世界各所で行われる様々な国際展やアートイベントの中に影響を見せるようになった。ベネチアビエンナーレやドクメンタのような世界規模の国際展から、身近な例ではトリエンナーレ愛知、トリエンナーレ横浜、新潟で行われている大地の芸術祭などがある。これらのアートイベントに共通していることといえば、アート作品が、美術館やギャラリーの枠組みを超えて地域社会の中にまで拡大し進出していることにある。

このように、美術館やギャラリーのような意図的に設計された展示空間とは異なる環境に設定する展示空間を「オルタナティブ・スペース(代替空間)」という。

 

例えば、最近、こんなことが身近で起こっている。過疎化が進む街に、使われなくなった古民家があったとする。その古民家は、少なからず歴史的価値のある建物だが、維持するにはお金がかかり、やむなく放置され老朽化の一途をたどっている。そこで地方公共団体が、その古民家を再利用するアートイベントの企画立ち上げ、地方在住の若手のアーチストを招請してアートイベントを開催する。するとそこに人が集い、文化的な交流が生まれ、地域が再生していく。…こんな光景を見たことはないだろうか?

 

21世紀に突入し、このようなアートの動向がますます強くなる背景には、いわゆるホワイト・キューブ型の展示空間ではおさまりきらないような規格外のアートが出現したことと、市民生活の中から自然発生的に沸き起こるニーズによってアートが求められるようになったことにあると思う。今やアートの概念そのものが日進月歩の勢いで変化しているのだ。

 

「純粋培養的」と批判に晒されるホワイト・キューブ型展示空間は、そのフラットな性質から美術作品をあたかも自立的に完結したもののように見せる一方で、我々の日常から一線を隔した非日常に安住している。しかし、我々の生きる場所は、本来、雑多なものに囲まれ、歴史や文化による影響を受けながら有機的に変化し続けている。もしもアートが、ホワイト・キューブ型展示空間を一歩出て、市民生活の場に踏み出すなら、自立的に完結したアートなどはもはや存在せず、アートは地域社会との開かれた関わりによって成立しうるものだと気づくことだろう。

 

このような動向を、アートシーンの舞台裏で支えるのが、キュレーターである。キュレーターというと、美術館などの学芸員をイメージする方も多いと思うが、こうした時代のニーズに応じて新たに生まれた専門職として、フリーランスな活動を展開するプロフェッショナルも存在する。(但し、かなり稀少な存在である。)彼らは、ある意味アーチスト以上にアートシーンを知る者たちであり、アートプロジェクトをオーケストラに例えるなら、キュレーターは指揮者であり、指揮者は指揮者である以前に音楽家であるのと等しく、キュレーターは優れたアーチストである。彼らは美術館やギャラリーとは全く異なるスタンスで活動しており、彼ら自身が創出したアートプロジェクトのコンセプトによって、アーチストだけでなく、地方公共団体、企業、法人、市民、ボランティア、職人などの点と点を結ぶキーマンとなる。

 

さて、ここまで読んで、前回のブログではギャラリーとの提携に拠点を置くタイプの作家活動を中心に話してきたのに、今回それをくつがえすような論旨を唱えていることに疑問を感じる方も多いのではないだろうか?

サロンに象徴される画壇がアートシーンの中心だった近代から、アーチストとギャラリストの二人三脚のような提携事業へ、そしてさらにそれを脱却する、キュレーターによるアートプロジェクトへと、時代は今、大きな転換期を迎えようとしている。

卒業後の作家活動を続ける上で、美術館やギャラリーを中心とした活動に近視眼的に固執してしまうと、アートシーン全体の大きな動向に気づく機会を逃してしまうので、時には広い視野でアートを捉えていく必要があると僕は思うが、どうだろうか?(次回最終回)

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