24時間クロッキー

今年6月某日のこと。長久手文化の家の美術室で裸婦モデルさんを描いていると、モデルさんから、びっくりするような企画の提案があった。その企画とは、モデルさんの実家の一室で、朝からクロッキーを描きはじめ、夜を徹して翌朝に至るまで、24時間ぶっ続けでクロッキーをやってみませんか?というものだった。

モデルさんのプライベートな生活空間の中に招かれること自体、稀な体験だというのに、さらに裸婦クロッキーを徹夜で描くなんて、世の中広しと言えど滅多にないことだろう。それに集中力や体力の限界ぎりぎりのところで描くことになるであろうことは目に見えている。また、いかに寛容な親だとしても若い娘が自室で裸になってポーズをとることを許すことなんてあるのだろうか…?

そんな思いがグルグル頭を駆け巡りながら、それでもなお僕はその企画に強く惹きつけられた。僕は、人物であれ静物であれ、描く対象の背景にある世界を深く知ることが創作に力を与えるものと思っている。アンドリュー・ワイエス氏が、オルソン家の一室にアトリエを間借りし、クリスティーナやアルバロを描き続けたように、描き手である自分が、モデルの生きる世界に足を踏み入れ、ともに呼吸するのであれば、それは、絵を描く上で直接、表に現れないことかもしれないが、作品の背後でリアリズムを力強く押し上げてくれるのではないか。そんな期待感をもったのである。しかし、この提案を聞いた日は、この企画があまりにも荒唐無稽に思え、正直なところ実現することなどないようにも思えた。

 

それから数日後。モデルさんからメールがあり、24時間クロッキーの候補日の打診があった。そのメールを仲間に転送すると、あっさり実施日が決まってしまった。さらに、それから数本のメールが届くころには、すみずみまで練り上げられた企画ができており、あっという間に数名の参加者を募って計画を確定してしまった。思えばこのモデルさんは、いつも独創的な企画を発案するだけでなく、即座に実行に移してしまう行動力の持ち主なのだ。僕はいつも口をあんぐり開けて驚かされるばかりである。

 

10月6日(土)朝8:00モデルさんの自宅に集合。参加者は自分を含む男女5名だった。当たり前のことながら、モデルさんのご自宅は生活空間であって、公共施設ではない。玄関をくぐれば、そこには暮らしの香りがある。それは人の生み出す生活の空気であってそこにクロッキー帳をもってお邪魔することは、とても恐れ多いことのように思われた。僕たちは、スウェットを着たモデルさんに2階の和室に招かれ、各自準備を整えて待っていると、やおらモデルさんがスウェットを脱ぎ、裸身を露わにしポーズをとり始めた。・・・24時間クロッキー会のはじまりは、こんな刺激的な開幕だった。モデルさんは何度か階段を行き来するうち、ポーズをとりはじめるころには肌が上気し、胸元が汗ばんでいた。6畳くらいの和室に、平均年齢50歳を上回る、おじさん・おばさんに囲まれ、ポーズを捧げる白い裸身…。こんなシュールな光景があるだろうか?この喩えは参加者一同にお叱りを受けてしまうかもしれないが、醜悪なものたちに縁どられ、一層匂いたつ裸身のエロティシズム。それは性の求心力とタブーが同居する危うさを孕んでいるようにさえ思えた。

 

24時間クロッキーは、1セッションを3時間とし、1時間の休憩をはさんで6セッションを描ききる耐久レースだった。2セッション終了後、女性参加者2名が退出し、3セッションの途中でさらに1名が私用のため退出した。描き出しは快調で、3セッション終了時(9時間経過)までの50ポーズについては、ほぼノーミスでクロッキーを描き続けることができた。しかし4セッションの中盤から僕は、不本意にもミスを連発し始めた。

ポーズ時間も1ポーズ7分間から5分間へと切り替わった。集中力が落ちてきているこのタイミングに1ポーズ5分間は、結構ハードである。疲労は容赦なく蓄積していく。

さらに5セッションを越えると泥沼状態で、意識が散ってしまったり、あるいは固着してしまったりして、フォルムがまとまらず、何枚か続けて描き損じてしまった。膝立ち姿勢を支持するつま先やふくらはぎがガクガクしはじめ、息が整わず、ていねいに細部を拾いきることが億劫になってきた。

深夜の休憩時間も、僕は仮眠をとらず起きていた。モデルさんは自分の部屋で仮眠し、もう一人の参加者も気持ち良さそうに寝息を立てていた。僕の疲労困憊は深夜2時を過ぎた頃ころから限界に達していたが、疲れていても眠れない。おそらくアドレナリンが過剰に分泌され、交感神経が優位な状態になっていたのだろう。

6セッション開始時の早朝5時。窓辺が朝日で薄く白みはじめ、雀の鳴き声が聞こえてきたころには、もはや気力との戦いとなった。早朝7時、もう一人の参加者も電車の出発時間の都合で退出し、最後まで完走したのは、結局、モデルさんと僕だけとなった。24時間を通して全部で114枚描き切り、うち83枚は(自分としては)よく描けた方だと思う。

すべて描き終え、完走のお祝いにと、普段あまり料理を作らないというモデルさんが、僕のために朝食を作ってくれた。スパゲッティと焼いた食用カエルの肉。カエルの肉はささみに似て結構美味しかった。

今、24時間クロッキーで描いた作品を振り返ると、あの時、僕が見た生々しい性の感覚は、確かに作品の一筆一筆に宿っている気がする。24時間クロッキーは、自分史上、忘れがたい思い出となることだろう。

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