闇の求心力

 

最近、僕のハートをわしづかみにする、愛すべき物たちを入手した。そこでさっそく僕は、それらを構成し、デッサンを描き始めることにした。これらの物たちとの出会いにはエピソードがあり、そこにある思い入れが、これから描く作品に少なからず反映されていくことだろう。

 

床に立てられたスクレーパーと背景に佇む2つの石膏像は、ながくてアートフェスティバル2018(以下NAF2018)のオープニングイベントで中古画材店を出店していた友人から購入したものである。かつて画家だった方の遺品が処分価格で販売されていたのだが、どの品も驚くほど手入れがきちんとされており、かつての持ち主の画材への愛情が感じられた。スクレーパーの柄に巻かれた皮は、使い込まれて手に馴染み、鈍色の光沢を発していた。さらによく見ると、細くよりあわせた皮製の細い紐で縛りつけてある。刃先もギラリと光る生々しい金属質をたたえており、この物のもつ荒々しさに、僕はすっかり心酔してしまった。

ダビデ像のものと思われる鼻と口の石膏像は、出店の床に無造作に置かれていたが、その圧倒的な存在感に強いインパクトを受けた。古びて多少すすけた感じが得も言われぬ質感を現しているが、新品の石膏像には、このような味わいは出ないのである。おそらくこれらの石膏像は、画家が生きた歳月の中で、アトリエの空気を共に呼吸し、このような深みのある存在感を醸しだすようになったのだろう。

 

そして画面中央にある、一際目を引く錆びた鉄製の道具は、NAF2018のバスツアー以来、関わりをもつようになった鐵工房「たね庵」からお借りしたものである。バスツアー後、来年出展する作品の部品を作っていただく相談をしに再度工房を訪れた際、入り口にかけてあった古い鉄製の道具に心惹かれ、「デッサンしたいので、何か貸していただけないでしょうか?」とお願いしたところ、この農機具を貸していただけることになった。この道具は、工房の主人である武田さんの亡くなった父親の遺品で、草をすき取るために作られた手作りの農機具であるという。錆びて朽ち果て、おそらくもう使われることのないこの工具は、手にとってみるとズシリと重く、錆びた鉄のにおいがした。そのフォルムはどこか不格好で、機能美と呼ぶにはほど遠いが、プリミティブで力強く、どこか呪術的な力に満ちている気がした。そして穴のあいた奇妙なフォルムの石は、NAF2018に出展した作品で使用した貝の巣穴の痕跡が残る石である。(僕はこれをクレーターストーンと呼んでいる。)

 

これらをデッサンのモチーフとして配置していく中で、僕のイマジネーションは少しずつ練り上げられていった。絵の具の飛散したコンクリート土間の床を選び、低いアングルから投光器の強い光を照射することで、モチーフのもつ粗雑な質感が浮き上がってくるようにした。手前の農機具にスポットライトを当て、背景に配置した石膏像などは暗く沈み込ませ、あえて見えにくくした。鮮明に浮き上がる物と、目を凝らさないとよく見えないものが一枚の絵の中に同居する空間。農機具を手に取ったときのプリミティブな感覚を強く打ち出すために、僕は石器時代の光源にイメージを馳せた。洞窟に差し込む鋭く熱い光…。光と影は互いにせめぎ合い、相克し、原始人たちの野性を研ぎ澄ます。かつてそこにあった濃い闇には、精神的な求心力が満ちていたはずだ。

 

この作品について僕は、“Geology”(地質学)と命名する。モチーフと地質学には直接的な関連性はないが、この作品の中でそれぞれのモチーフが組み合わさって生まれる抽象的な主題には、この題名のもつ意味や語感が、アナロジカルでありながら本質的な結びつきをもっているように思われる。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です